人は一人では生きられない。母親の深い愛情から始まり、父親や師匠から教えを受け学び、生きる手立てを身に付け、与えられた人生を全うする。人生は恩人に溢れていると言ってよいだろう。自分の人生63年を振り返ってみても学生社会人時代に多くの人の世話になり、今も曲りなりに経営者の立場を頂いている。
多くの恩人の中でも52歳の時に出会ったタニサケの松岡会長は恩人中の恩人である。きっかけは1冊の小冊子「生きる力」だった。それは会長が「心の小冊子」シリーズと名付け10年以上毎年発行していた。ある方はこの小冊子を手製の仏像と言った。少々のご利益ではない。手を合わせて受け取られることをお薦めしたいと。当時弊社は業績の悪化で、大変な状況に直面した。そこで、メインバンクの救済を仰ぐことになり、バンクミーティングも数回行われた。最終的にはメインバンクに支援してい頂けることになる、廃業は免れた。その過程の中で憔悴し切った自分に「生きる力」が与えられたのだった。
本で知った2日間の「タニサケ塾」に向かった。大垣駅で塾に向かうマイクロバスに乗り込んだ。後々になり、会長から言われたことがある。「最初に君を見たとき亡霊が乗ってきたように見えた」。あまりにやつれた自分はそのように見えたのであろう。最終的には4回塾に行った。会長から受けた珠玉の言葉や訓練は文面にすればたわいもないことであったが、会長の体験と共に語られる言葉の重みに自分の五感はことごとく反応して、何度も何度も涙を流した。悔しさの涙、懺悔の涙そして感謝の涙であった。教えは多岐にわたり言葉を重ねたら切りがないのであるが、今でも弊社の経営ができているのは、「自己中心」から「他者中心」に自分の心がシフトしたことであろう。共にバス旅行する機会があったとき、手の平にマジックで書いて頂いた「他者中心」の言葉は、今でも手の平に感触は残り、心に刻みつけられている。
昨年、11月25日に80歳で逝去され、最後のお顔を拝見させて頂いた。どんなに忙しくても我々のために時間を作って、行くたびに見せてくれた満面の笑顔が思い出されて嗚咽した。会長、自分も天に召されたとき、再び経営談義で花を咲かせたいです。少しはお前も成長したな、なんて言って頂きたいです。その日が来るまで、小冊子にもありました「大感謝」を忘れません。本当に会長!ありがとうございました。
合掌