全てのこと(自分にとって悪いように見えることも)に感謝することは、何にも増して人生を豊かに充実させる方法であることは、この「ひとりごと」の中でも何回も記してきました。自分の周りでも毎日イキイキと、充実して暮らしている方々は、挨拶の声ももちろん大きいわけですが、何にも増して「ありがとう」の言葉を多く発せられます。どうやら「ありがとう」に秘訣があるようなのです。では、どうやったら素直に「ありがとう」の言葉が多くなるのでしょうか?

 人はあたりまえのことほど、それに対する感謝の心を忘れがちです。例えば親の存在です。親はいるのがあたりまえ。子どもを助けて守るのがあたり前だと思っています。ですが、親を亡くしたとき、喪失感と共に、親の存在がどれほど有難かったかを身をもって知るのです。有形で無形でも、知らず知らずのうちに親に頼っている部分は少なくないものです。それを心の負担と感じさせずに「あたりまえ」のようにしてくれるのが、親の偉大なところ、存在感の重さだと言えると思います。また他にも災害が起こって不自由な生活になったとき、あたりまえの普段の日常がどんなに有難い日常だったのか。また大けがをして、何らかの不自由な生活になった時、健常者がどれだけ有難いことであったかなどです。

 曹洞宗永平寺の貫主の宮﨑禅師が「あたりまえ」の姿を端的に表現しています。「あるべきものが、あるべきところに、あるべきように、ある」これが「あたりまえ」の姿です。この「あたりまえ」の在り様こそ禅の悟りそのもの。それ以上有難いものはないのです。素直に「ありがとう」の言葉が出るように、周りの「あたりまえ」のことを一度見直してはどうでしょうか?朝起きたら朝食が用意してある。会社に行けば、普通に机が置いてある。話を聞いてくれる友人がいる。「いま」「ここ」にある「あたりまえ」のことにどれほど自分が支えられているか、あるいは、癒されたり、励まされたり、勇気づけられたりしているか。このことに気付くと心は大きく変わります。家族に対して苛立ったり、仕事をおざなりにしたり、友人関係を疎ましく思ったり・・・といったことが無くなっていくのです。「いま」「この瞬間」が充実していくのです。「あたりまえ」のことをもっともっと大事にしようという気持ちが生まれ、そして、いつのまにか全てのことに感謝する気持ちが芽吹いてくるのです。

合掌