皆さんは以下の文章に対して、どう思われますか?
 『ある人が川に500円を1枚落としました。自分で探してみても見つかりません。そこで1,000円で1人を雇って一緒に探し出しました。ある人は見つかったことを大変喜びました。それを見ていた別の人は500円探すのに1,000円もかけて500円の損だ。もったいないことだ、川の中に放っておけば良かったのだと言いました。』
 皆さんは見つかって喜ぶ人か、もったいないと思う人か、どちらを選ぶでしょうか?
 結論を出す前に「マネーエネルギー論」を著した吉良久美子さんによれば、自分の口座からお金を引き落とされた通帳を見る時、お金が無くなったと思うのが普通ですが、それはお金を硬貨やお札としてだけ見て、物質と思っているからだと言うのです。お金をエネルギーとして見るなら、エネルギーがただ移動しているだけ。だから減らないし、循環させればさせるほど、無限ループでいくらでも流れこんでくることが分かるというのです。 
 例を挙げると、ある町に4つのお店があるとします。Aさんの家はお花屋さん、Bさんの家はケーキ屋さん、Cさんの家は美容室、Dさんの家は旅館です。Aさんが1万円を払って、Bさんからケーキを購入したので、1万円はAさんからBさんに移りました。Bさんはその1万円を使ってCさんの美容室でカットしてもらったので、1万円はBさんからCさんに移りました。Cさんはその1万円を使って、Dさんの旅館に宿泊したので、1万円はCさんからDさんに移りました。Dさんはその1万円を使って、Aさんのお店でお花を買ったので、1万円はDさんからAさんに移りました。お金は全部で4回動いたわけですが、この間に移動したものはいくらでしょうか?そう、たった1枚の1万円です。1万円は次々と人の手に渡っていったのに、1万円自体はこの世から無くならず、移動した分だけエネルギーが動き、エネルギーが動いた分、この社会のいろいろなサービスが増えたのです。つまり使われた1万円が4倍のエネルギーに増幅して、社会を豊かにしたと考えられます。Aさんが1万円を使わず貯金したらどうなるでしょう。エネルギーの循環を止めてしまい、サービスや豊かさは生まれません。このエネルギー論をもって最初の質問の答えを出したらどうでしょうか。
 1,000円をかけて、500円を回収すれば、落とした500円を含めた1,500円分のサービスと豊かさがエネルギーとして社会に増える。喜ぶ人が正解ということですね。お金はエネルギーという考え方。今までとは違う発想だと思います。皆さんいかがでしょうか?
合掌