あるネットからの記事です。「ひたむきに自分の人生を生きる」とはこういう感動を生むことなのだと改めて感じました。みなさんとシェアーさせてください。
「僕の父親の職業は鳶職である・・」という書き出しから始まる。
父親の休日は定まっていなかった。雨の日以外は日曜日も祭日もなく、お定まりの作業服と汚れた古いオンボロ車を運転して仕事に出かける。仕事が終わると頭から足の先まで、泥や埃で真っ黒くなって帰り、庭先で衣服を脱ぎ棄てて、褌ひとつになって風呂に飛び込むのが日課である。僕の友達がいても平気で、そんな父の姿が恥ずかしく嫌いだった。
小学校の頃、近所の友達は日曜日になると決まって両親に連れられて買い物や食事に行き、僕は羨ましく思いながら見送ったものだ。(みんな立派なお父さんがいていいな)と涙が流れたこともあった。
たまの休みは、朝から焼酎を飲みながらテレビの前に座っていた。母は「掃除の邪魔だからどいてよ」と掃除機で追っ払う。「そんな邪魔にすんなよ」父は逆らうでもなく、焼酎片手にウロウロしている。「濡れ落ち葉という言葉は、あんたにピッタリね・・この粗大ゴミ!」「なるほど俺にそっくりかハハハ…うまいこと言うなハハハ…」と、父は受け流して怒ろうともせずにゲラゲラ笑っている。小学校から小遣いをくれるのも母だったし、買い物も母が連れて行ってくれた。運動会も発表会も父が来たことなど一度もない。こんな父親などいてもいなくってもかまわないと思ったりした。
ある日名古屋へ遊びに出かけた。ふと気づくと高層ビルの建築現場に「○○建設会社」という父親の会社の文字が目に入った。僕は足を止めてしばらく眺めるともなく見ていて驚いた。8階の最高層に近いあたりに、命綱を体に縛り、懸命に働いている父親の姿を発見したのだった。僕は金縛りにあったようにその場に立ちすくんでしまった。(あの飲み助の親父があんな危険なところで仕事をしている。一つ間違えば下は地獄だ。僕は体が震えてきた。8階で働いている米粒しか見えない父親の姿が、仁王さんのような巨像に見えてきた。僕はなんという不潔な心で自分の父親を見ていたのか。母は父の仕事振りを見たことがあるのか。一度でも見ていれば、濡れ落ち葉なんて言えるはずがない。)僕は不覚にも涙がボロボロ頬を伝わった。どこの誰よりも男らしい父の子どもであったことを誇りに思う。そしてこれからは、親父のように、汗と泥にまみれて、自分の体でぶつかっていく。そして黙して語らぬ父親の生き方こそ男の生き方であり、僕も親父の跡を継ぐんだと。
合掌