宮﨑県椎葉村で綾心塾を開催している綾部正哉さんの講演を聞きました。昭和16年満州国三江省の生まれの77歳です。綾部さんが語った90分の話は衝撃の連続であり、普通に暮らしている日常がいかにありがたいものかを再度認識させられ、日本人の今の在り方を反省してみるべき機会をいただきました。
まず一編の川柳から始まります。それは父親の遺品から、息子の名をちりばめて詠まれたものです。「青柳の包綾に良き部屋にして、正しく語れ哉、世の中の道」。しかし、この歳になっても「正しさ」の正体が分からない。80歳まで3年を余生とし、「生涯生燃」として、生きている限り燃え続けたいという思いがありました。そして尺八を吹きます。椎葉村に伝わる民謡の「奥山節」は、山に住む鹿達の逃れられない悲しい宿命を表現しています。深い情感の籠った音色でした。
そして「月うさぎ」の話。ある旅人に「今からごちそうを焼くから火をつけておくれ」と話したうさぎは、その火に飛び込み、餓死寸前の旅人を救いました。それを見た神様が「世界中の人々がお前を見ることになるだろう」と言って月にうさぎを連れていきました。「敷島の大和男に生まれしは利他自損を旨としいきねば」が座右の銘のようです。
本題です。満州国は日本人が作ったユートピアだったそうですが、昭和20年8月9日、5歳のときにロシアが不可侵条約を破り攻め込んできたのです。それ以来日本に帰れるか分からない逃避行が始まりました。物は壊されるなど筆舌に尽くしがたい地獄絵図でした。ある日、ロシア兵が私に銃を向けたところ、母がボタンがちぎれるほどの力で胸をはだけさせ、私の前にたちふさがり「私を撃ちなさい」と叫びました。すると、兵士は立ち去っていきました。命がけで私を守ってくれた母でした。弟の死に直面したとき、親切な人が、弟の髪を切り、「先に帰国している両親にこれを渡すまで死んではいけない」と勇気づけられたこともありました。
綾部さんは昭和21年10月11日に無事帰国し、佐世保港に着きますが、それは奇跡が奇跡を呼んだ結果でした。実家に戻ったとき両親は息子を見て、へなへなと前に崩れ落ちました。すでに自分の墓ができていたということです。
綾部さんの前段の川柳、月うさぎ、そして、尺八が切々と聞こえるのは、「今ここに生きていることが奇跡であることをかたじけなく受けとめて、人生を燃え尽くして、人のために生きたい」という魂の希求が我々の心に深く沁みこんでくるからだと思うのです。人生におけるかたじけなさを知ることは「生きること」の味わいを深くしていただけるようです。
合掌