欧州からのサーキュラーエコノミー(循環型経済)の考え方が日本で唱えられるようになり、資源を大切に活用する社会が、今更ながら大事な様相を呈してきましたが、よくよく考えてみれば、日本には3Rという言葉があります。ご存じのように、リデュース(減じる)リユース(再活用)リサイクル(再利用)という言葉で日本人にはなじみの深い言葉です。この言葉の源流をたどると、正に「もったいない」という特異な日本語にたどり着くのではないかと思います。
この言葉が盛んに使われたのは江戸時代で、世界一人口が多かった江戸で人々が快適に過ごすために数々の江戸しぐさという文化が生まれ、その中のひとつとして「もったいない大事しぐさ」ができたのです。江戸は見事なほど無駄がない循環型社会で、それこそ「もったいない」が共通の価値観だったのです。江戸の人たちは浴衣も古くなれば、赤ちゃんのおしめに、もっと古くなれば雑巾にと、徹底して使い込みました。町から出される排泄物は、近隣の農作物を育てる肥料として運ばれ、作られた野菜は江戸で売られました。 「もったいない」という言葉は無駄になることが惜しいという意味と共に語源をたどると「勿体ない」であり、これは「物体ない」です。
これはありがとう(有難い)の言葉に繋がり、すべてはあたり前ではなく、目にみえない力や働きに助けられていることのかたじけなさや感謝の念が込められています。あらゆる「物体」に神仏が宿るとした、日本人の素晴らしい宗教心であると思います。
しかし令和の時代に生きる我々を振り返ると、古来日本人の心にある「もったいない」が生かされているでしょうか? あまりに便利で豊かな近代日本に生まれ、忘れかけてないでしょうか? 人として生まれたということについてはどうでしょうか? 「盲亀浮木」というお釈迦さんの教えがあります。広い海に浮かぶ1本の丸太棒の穴に、100年に1度だけ海面に顔を出す盲目の海亀が、偶然に頭を入れるとんでもない偶然の確立ぐらい、人として生まれる確率は低いという教えです。人として生まれたことのかたじけなさを知り、二度とない人生を最高に努力して、豊かなものにしなければ「もったいないなんてもんじゃない」と思いませんか?
合掌